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タクミク・ATR合同会社
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鮮魚爛漫 だんらんや

  • By 管理人
  • 2014-05-07
  • 2889
  • Tacmic情報
このたび、縁があって、鮮魚爛漫 だんらんや さんのサイトを構築させていただきました。

「だんらんや」さんは、2年ほど前から北九州市小倉北区・北九州屋台街小倉十三区にて、美味しい魚をリーズナブルに提供する店を開いていましたが、
このたび、若松区岩屋海岸で、鮮魚爛漫 宿房だんらんや をオープンすることになったため、ホームページの開設となりました。
 
宿房だんらんやは、急遽決まった話らしく、まだまだ準備が整っておりませんが、5月より少しずつお客様にアピールしていこうとことです。

若松北海岸・岩屋からは、夕日が玄界灘に沈む情景が非常に美しいと有名なところですし、宿房だんらんやも、北九州・若松の美味しいものをふんだんにお届けしたいとのことですので、もし宴会とかのご要望があればぜひお楽しみください。

なお、宿房だんらんやではゆったりと宴会を楽しんでいただきたいという思いから、なんと1日1組だけの予約受付になっているそうです。

ゆったりした時間が過ごせること間違いないですね。

サイトはこちらからご覧ください。
http://だんらんや.com/



 

事実と真実は異なる

  • By 管理人
  • 2014-04-30
  • 1606
  • Tacmic情報
小保方さんのSTAP細胞の発表から、捏造疑惑と調査委員会、委員会の捏造報告と、委員長の報告の改ざん、さらにはiPS細胞の山中教授の修正問題まで、いろんな科学技術に関するスクープが出ています。

これだけをみると、科学技術界は、コピペだらけの世界だとなってしまいます。

でも、これは全体の部分からするとほんの一部分を針小棒大にしておもしろおかしく伝えるマスコミによる世論誘導です。
おもしろおかしくすることと、魔女をどんどん見つけていって、見ている人を飽きさせないのがマスコミの使命です。

そもそも、事実というのは解釈次第でかわった真実になります。
例えば野球でいう比率の場合
首位打者の安打比率はだいたい40%弱。60%はアウトになります。
球団の最下位の勝率はだいたい40%弱。60%は負けています。
あんまりかわらない訳ですが、片や40%弱の成功を誉め称え
片や60%の失敗をけなされる訳です。
もちろん何かが違う訳なのですが、数字という事実だけ考えると一緒なわけで、
解釈でかわってくる訳です。

真実を悪意を持ってとらえようとすれば、小さな失言を気にすることはありませんが、真実を悪意を持ってとらえようとすれば、小さな失言を天下を取ったように一面のテロップに使います。

だから、テレビも新聞も、もちろんラジオも、情報というのは発信する側は意図を持って伝えるものですので、ぜひともそれを普遍の真実ととらえるのではなく、あくまでも一つの真実への解釈だととらえないといけないと思います。

 

「です」は重要

  • By 管理人
  • 2014-04-29
  • 1591
  • Tacmic情報
今日は昭和の日。昔は天皇誕生日だったのですが、昭和天皇陛下が崩御された後は、みどりの日を経て、現在のように昭和の日に決まりました。

そんなことはおいておいて。。。

日本語は便利なもので、文章に「です」とか「でしょ」をつけるとどんな乱暴な話も敬語になると思いません?

「ふざけるな!」は乱暴ですが「ふざけるな!ですよ」といったらちょっと丁寧になりますよね。

ということで、「です」は結構大事だと思いますよ。何はともあれ、ですを大事にしましょう。


 

子育て支援って。

  • By 管理人
  • 2014-04-25
  • 1684
  • Tacmic情報
昨日のの教育の話の続きなんですが、続きじゃないかもしれません。

私が子供の頃なので、40年ほど前。
地域が私達を育ててくれていました。
近くの川は自然のままの川で、そこでは春はセリが芽生え、メダカが泳ぎ、しじみを、サワガニと戯れることができるものでした。
そこでお兄ちゃんやおねえちゃん、といっても近くの家に住んでいるお兄ちゃんやおねえちゃんたち、と一緒に遊んでいましたが、いっちゃいけないところは、兄ちゃんたちが「そこに行ったらダメ!」といろんなことを教えてくれました。
また近所のグミの木や枇杷の木、柿の木なんかは、格好のこどもたちのおやつの木で、そとから、大声で「おばちゃーん、とっていい????」って聞いたら、その家の方々が「いいよー、何個までね~」なんていっていたし、木に登って危ないことをしたら、「あんた、なんしよるんね、危ないやないね!」なんて怒られていたし、不謹慎な話ですが立ち小便したらやっぱり色んな近所の大人たちから怒られていたし。
そうやって近所の大人たちや年上の子どもたちから当たり前のようにしつけられていたと思います。
もちろん、自分の子供を叱るように、時には手を出してでもちゃんと叱ってくれていたと思います。

そして、あの頃は色んな遊び道具もなかったし遊びに行く金もなかったからだと思いますが、子ども会の行事や地域の運動会や祭りなんかもすごく盛り上がっていたような気がします。

学校に行くときは、近くのお母さんたち(なぜかお父さんたちの記憶は少ない)がみんな「いってらっしゃーい」といってくれたし、帰ってきた時には「おかえりー 早かったねー 遅かったねー どこ言っとったんねー」なんて言われていたので、今から考えると地域が私達の成長を見守ってくれていたような気がします。

40年前は当たり前だったこの景色が、いま「地域子育て支援」として政策を打ち立てないと見ることが出来ないのです。

それはなぜか。

いろんな理由があると思いますが、私はお母さんが色んな意味で忙しくなりすぎているからだと思います。
経済的な理由、精神的な理由、制度的な理由、いろんな理由はあると思いますが、お母さんが家にいない時間がどんどん増えているからじゃないかと。

こう言うと差別になるかもしれないですが、
辛い時に声が聞きたいのは父親の声ではありません。母親の声です。
まず気持ちを母親に打ち明け、落ち着かせた上で父親の出番がやってきます。
やっぱりこどものファーストエイドで必要なのはお母さんです。

こどもが家を出かけるときに「いってらっしゃい」と手を振ってあげて
家に帰ってきたら「お帰り!」と手を差し伸べてくれる。
自分の親が忙しくても、近くのおばちゃんが「いってらっしゃい」と手を振ってくれて
返ってきたら「おかえり!」とニコニコして迎えてくれる

お前が頑張れと言われそうですが、そんな学校や施設に頼らずに子供の心を育める地域ができたら
子育てしやすくなると思うんですけどねー。


 

教育の意味

  • By 管理人
  • 2014-04-24
  • 1637
  • Tacmic情報
専門学校の先生をすることと、PTAの役員をすることになったのでちょっと「教育」について考えてみました。

諸説はあるとおもいますが、自分なりの解釈ということで。

教育という言葉自体は中国の「孟子」の孟母三遷のところで出てきている言葉で、
「教」とは鞭打って習わせるという意味
「育」とは母親の慈しみという意味
ということでこれを合わせることで教育という言葉が生まれたわけです。

で、日本では昔はお勉強を教えることを教育とは言わずに「教授」だったり「教化」だったりの言葉を使っています。

江戸時代までは、勉強や技術なんてものはあくまでも師が弟子に授けるものだったり、教えて進化させることを目的としており人間的な成長なんてものを期待していたわけじゃないわけですね。

で明治時代になって西洋列国に早く追いつける国力をつけようと考えた時に、勉強や技術だけでなく、一流国になるためには道徳的なものの成長が不可欠だと重視して「教育」という言葉が使われ始めたんじゃないかと思います。

それを教育の基本的な方針としてこんな人になってほしいと願って書かれたものが、「教育に関する勅語」です。
西洋の場合はキリスト教を背景にしてこんな道徳的なことを培ってきたのですが、日本の場合は宗教を適用するわけにも行かず、天皇陛下からのお言葉という形で人間の成長に関わる「教育」の基本を日本全体に伝えたんじゃないかと。

じゃあ、その考え方はというと

1 親に孝養を尽くし
2 兄弟(姉妹)は仲良く
3 夫婦はお互いに仲良く
4 友達とはお互いに信じ合い
5 自分自身は控えめに振る舞い
6 すべての人に愛を持って接し
7 しっかり勉強し、仕事ができる技術を習い
8 知恵を培い才能を伸ばし
9 自分が目標とする才能と器量を満足させ
10 公益を考え、世の中での役割を果たし
11 法律や規則を守り、秩序に従い
12 何かがあれば自分の国をしっかり守りましょう

ということで、12番の書き方は別にすると、いま私達が我が子に求めていることそのものじゃないかと。
で、学校と家庭の役割分担としては
1番から6番までは家庭の仕事で7番から11番までが学校の仕事だと。(12番は勘違いされることがあるのでやめときます)
戦前はこの基準が明確だったからこそ、「Poor, but Noble」と日本人は世界から尊敬される存在だったのだと思います。

会社にもわかりやすい成文化した経営指針がまずあるべきであることと同じように、日本の教育に関しても教育基本法のように長たらしいものではなく、戦前の教育に関する勅語のようにわかりやすい形での方針をしっかり打ち立てるべきなんじゃないかと思っております。

長たらしくなったので、また次の機会に。

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