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教育の意味
2014-04-24 Tacmic情報
専門学校の先生をすることと、PTAの役員をすることになったのでちょっと「教育」について考えてみました。

諸説はあるとおもいますが、自分なりの解釈ということで。

教育という言葉自体は中国の「孟子」の孟母三遷のところで出てきている言葉で、
「教」とは鞭打って習わせるという意味
「育」とは母親の慈しみという意味
ということでこれを合わせることで教育という言葉が生まれたわけです。

で、日本では昔はお勉強を教えることを教育とは言わずに「教授」だったり「教化」だったりの言葉を使っています。

江戸時代までは、勉強や技術なんてものはあくまでも師が弟子に授けるものだったり、教えて進化させることを目的としており人間的な成長なんてものを期待していたわけじゃないわけですね。

で明治時代になって西洋列国に早く追いつける国力をつけようと考えた時に、勉強や技術だけでなく、一流国になるためには道徳的なものの成長が不可欠だと重視して「教育」という言葉が使われ始めたんじゃないかと思います。

それを教育の基本的な方針としてこんな人になってほしいと願って書かれたものが、「教育に関する勅語」です。
西洋の場合はキリスト教を背景にしてこんな道徳的なことを培ってきたのですが、日本の場合は宗教を適用するわけにも行かず、天皇陛下からのお言葉という形で人間の成長に関わる「教育」の基本を日本全体に伝えたんじゃないかと。

じゃあ、その考え方はというと

1 親に孝養を尽くし
2 兄弟(姉妹)は仲良く
3 夫婦はお互いに仲良く
4 友達とはお互いに信じ合い
5 自分自身は控えめに振る舞い
6 すべての人に愛を持って接し
7 しっかり勉強し、仕事ができる技術を習い
8 知恵を培い才能を伸ばし
9 自分が目標とする才能と器量を満足させ
10 公益を考え、世の中での役割を果たし
11 法律や規則を守り、秩序に従い
12 何かがあれば自分の国をしっかり守りましょう

ということで、12番の書き方は別にすると、いま私達が我が子に求めていることそのものじゃないかと。
で、学校と家庭の役割分担としては
1番から6番までは家庭の仕事で7番から11番までが学校の仕事だと。(12番は勘違いされることがあるのでやめときます)
戦前はこの基準が明確だったからこそ、「Poor, but Noble」と日本人は世界から尊敬される存在だったのだと思います。

会社にもわかりやすい成文化した経営指針がまずあるべきであることと同じように、日本の教育に関しても教育基本法のように長たらしいものではなく、戦前の教育に関する勅語のようにわかりやすい形での方針をしっかり打ち立てるべきなんじゃないかと思っております。

長たらしくなったので、また次の機会に。



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